もっと助けてほしかった

中学校卒業で社会に出ることを決断した水津さんを待ち受けていたのはさらに厳しい現実でした。

まだ若い水津さんが自分に合う仕事を見つけるのは想像以上に大変でした。仕事が見つからず何もせずに家にいたり、アルバイトが見つかってもうまくいかず、すぐに辞めたりした時期が1年余り続きました。

ラジル人の支援をしているNPOや市役所の仲介でようやく今の職場という「居場所」にたどりつくことができましたが、言葉の分からない外国人が自力で仕事を探す難しさや心細さを痛感したと言います。 もの静かな水津さんが強い口調で語ったことが印象に残りました。

そんなロペスさんの背中を押し、一歩踏み出すきっかけを作った人がいます。ふだんは専門学校で日本語を教えている河原由実さんです。

河原さんは3年前から出雲市内で、学校に通うことのできない外国人の若者などに、ボランティアで日本語を教える「M ANABIYA(まなびや)」という活動に取り組んでいます。

ここで言葉を教える以上に大事にしているのが、近況や悩みを相手に気軽に話してもらうことだといいます。